「近くて遠い?南の楽園サイパン」
先日、若い方とお話ししていた時「サイパンってどこですか?」と聞かれた。若干の衝撃を覚えつつ、サイパンのことを説明すると大変興味を持ったようだった。
美しい海、どこまでも続く空。とっておきの時間が過ごせる楽園。でもこの島には特有の苦難に満ちた過去がある。
かつてサイパンは日本の統治領であった(1920〜1944)。当時は彩帆島。南洋庁サイパン支庁が設置されていた。サトウキビを栽培し製糖工場ができ、アジア最大の製糖産地となる。日本の統治下で産業、教育、公衆衛生が推進され発展をしていく。一方、大東亜戦争の激戦地でもあり、今は観光スポットのバンザイクリフは、捕虜になるのを拒むため身を投げた日本人が多数いたサイパン島最北端の岬である。終戦後アメリカの軍政下におかれ、後にサイパン・テニアン・ロタ島等がアメリカの自治領「北マリアナ諸島」となる(ちなみにハワイは州、グアムは準州)。
1970年代後半から日本人観光客が増大し、日本航空のジャンボ機も就航し様々な投資開発が行われ、一大リゾート地として人気の島となった。しかしバブル景気崩壊以降観光客は激減、2005年には日本航空の経営不振で就航撤退や投資企業の撤退が相次ぎ、島は衰退していく羽目となる。不振にあえぐ観光産業を打破すべく、2010年代にはカジノ法案が審議され2013年に北マリアナ諸島下院上院において可決。2015年にカジノがオープンした。その間、ビザ免除プログラム等が実施され、ロシア・中国・韓国から観光客が増大していった(ちなみにカジノ投資は中国系資本である)。観光産業復活の兆しが見える中、島を襲った大打撃がコロナウイルスである。各国からの就航がなくなり、入国閉鎖、まさに孤島となってしまった。カジノも閉鎖され、以来給料未払いや納税滞納等訴訟が複数起こり、再開のめどはたっていない。
世界に翻弄される島。近くて遠い島。ウイズコロナの時代になり就航が各国から始まり、日本からも数年ぶりに成田〜サイパンがこの9月から再開された。



我々、英霊に応える議員連盟では2016年、北マリアナ政府協力の下、静岡県や遺族会、神社庁等と連携し、サイパン島バンザイクリフに戦没者慰霊碑を建立するに至りました。
先の戦争で静岡県出身者5,600人以上の方がこの地で犠牲になりました。尊い命の犠牲、島の栄枯盛衰、楽園として観光客を惹きつけやまないこの島を、私たちはもっと大切にしなくてはいけないと思っています。
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